明日の記憶
荻原 浩

光文社
2004-10-20
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*あらすじ*

主人公の佐伯雅行は広告代理店の制作部の部長。つい最近50歳になったばかりだった。
他の人に比べ胃腸も強く体は健康だと思っていた。ただし最近固定名詞が出てこない。
「ほら、あれあれ」と思い出そうとしても映像は頭に思い浮かぶが名前が出てこないのだ。
まぁ年のせいだろうと軽く考えていたのだか、次第に物忘れが激しくなっていく。
そして頭痛やめまい、不眠も続いていた。自己判断で鬱病なのかと思い始める。
妻の枝実子の薦めもあり病院で診察を受ける事に。
すると結果は思いもしないものだった・・・・「若年性アルツハイマー」。
実は佐伯の父親も70歳で仕事を引退後にアルツハイマーになっていた。
父が人でなくなっていく姿を見ていた佐伯にはそれがどんな病気なのかよく解っていた。
痴呆とは違い、アルツハイマーは治らない、いや治療の方法が今の段階ではないのだ。
しかも死に至る。

絶望と記憶を失う恐怖、焦りに怯える毎日の中、ただ1つ数ヶ月後に控えている一人娘・梨恵
の結婚式だけは今の自分のままで迎えたいと会社にも娘にも病気のことは隠すことを決心。
それから佐伯の孤独な闘いが始る。
欠片のような記憶の断片を集め、仕事相手・部下の特徴、取引先の地図、会議の内容、電話で話
したこと全てをメモする毎日でいつしか佐伯のスーツの中はメモ用紙でパンパンに・・・。
だが病気はどんどん進行していき・・・。

私はいつまで娘や妻の顔を覚えていられるのだろうか。

*感 想*

読みながら泣きました、いや途中からはずっと泣き続けながら読みました。

50歳で「若年性アルツハイマー」と診断された佐伯、なぜ自分が、なぜ「アルツハイマー」なのだ?
絶望や怒り、恐怖に怯える日々の中、唯一心の支えにしたのは娘の結婚式までは「今の自分」でいること、だから会社にも病気のことは隠し通す決心をしたのだが病気は待っていてはくれない。
突然忘れる取引先の場所、毎日のように通っていたのに見知らぬ土地に思えてしまう。一体ここはどこなのだ?恐怖にパニック状態になる佐伯。
手から砂がこぼれ落ちるように佐伯の記憶はどんどん抜けていく。
「備忘録」として日記を書き始めるがその記録すら読み返すと忘れていることが多い。
また周りの人々も変化をみせる。佐伯を利用する者、裏切る者、また別の顔を見せて救う者。

実は最近主人公の佐伯と同じで固定名詞は出てこない、人の名前は覚えられないし同じものを二度買いする事もある。とても人事ではない。
そういうのもあり、また佐伯の一人称で語られているせいか自分と佐伯がいつの間にか同一化しているのである。忘れたくない、最愛の家族。だが妻の顔をいつまで覚えていられるのだろうか、娘の顔を忘れないでいられるのだろうかという恐怖と悲しみ、それらが読んでいて自分に迫ってくる。
いつの間にか私は佐伯自身になっているのだ。

世界中で読まれ涙の渦に巻き込んだ「アルジャーノンに花束を」と雰囲気は重なる。今の自分を失う恐怖やそれを綴る部分も切なさもだ。だがあの作品はSFの作りモノに思えて感動しなかったのだが、この「明日の記憶」は違った、作りモノとは思えないのだ。あまりにも身近過ぎ、そして佐伯の心情が伝わり過ぎて涙が止まらなくなった。
これはただの「アルツハイマー」患者の物語ではない、書かれている中で一番の柱となっているのは夫婦愛である。

ラストの一行まで一切手を抜かないのが荻原氏なのだが、これまでの作品の中でもこの「明日の記憶」は群を抜いているラストである。
この一行を読んだ後、またしばし涙が止まらなかったのは私だけであろうか。

人生の中で読まないことが損だと思う本というものがあるが、この作品はその中の1冊である。
読むべし。